1日コース 車or自転車
当時の面影が残る北前船文化の歴史と酒田繁栄の立役者・本間家ゆかりの地を巡って、当時の繁栄ぶりを感じましょう。
酒田駅で無料観光自転車を借りて、自転車での周遊もおすすめです。
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山居倉庫
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北前船西廻り航路の主力商品はお米。
ではなぜ数あるお米の生産地の中から酒田が北前船の寄港地として選ばれたのでしょう?
それはお米の保管倉庫として使われている山居倉庫が最上川に隣接して建ち、船にお米を積み込むのに便利だったことも理由のひとつではないでしょうか。
この山居倉庫は白壁、土蔵づくりの倉庫で、風よけや西日による高温防止のために背後にケヤキを植えたり、内部の湿気を防止するため二重屋根にするなど、お米の保存に最適な倉庫にするための工夫があちらこちらに施されています。
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屋形船あかり
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山居倉庫の側を流れる新井田川を周遊する屋形船。船上から北前船が寄港していた当時の様子を想像しながら、山居倉庫を眺めてみましょう。
船から見える鳥海山もみどころのひとつ。鳥海山から流れる豊富で上質な水のおかげで最高品質のお米が収穫され、酒田がお米の一大産地として知られていくことになります。約70分のゆったり船旅をどうぞ。(2名様から運行。要予約)
3
庄内米歴史資料館(閉館)
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山居倉庫の倉庫1棟を改装して作られたお米の資料館。米に関する貴重な資料や昔使われていた農具などが展示されています。
北前船が寄港していた時代を再現したジオラマは必見!北前船が行き来していた湊・酒田の繁栄ぶりを感じ取れる貴重な資料です。その当時は女性でも60kgの米俵を担いでいたとか!?そんな60kgの米俵を再現した体験コーナーも。担げるかどうか挑戦してみて。
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本間家旧本邸
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1768(明和5)年、本間家3代光丘が藩主酒井家のため、幕府巡見使用宿舎として建造したお屋敷で、書院造りの武家屋敷と本間家が生活した商家造りが一体となった全国的にも珍しい建物です。その後拝領し、本間家代々の本邸として使用されてからも、武家造りの建物は特別な時にしか出入りできない場所でした。
商人が幕府巡見使を迎える藩のためにこのようなお屋敷を建造して献上するのは珍しいこと。本間家の繁栄ぶりをうかがい知ることができます。
※幕府巡見使…将軍の代替りごとに特派された役人
※書院造り…平安時代の公家住宅の寝殿造りを基とし、近世初頭に確立をみた武家住宅
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旧鐙屋
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今も昔も本間家旧本邸や鐙屋がある通りは「本町通り」と言われ、酒田の中心でした。
本間家とともに酒田三十六人衆のひとりとして酒田の発展につくした豪商 池田惣左衛門(屋号:鐙屋“あぶみや”)。江戸時代には本町通りに何軒もの廻船問屋が連なっていましたが、その中でも鐙屋は別格。井原西鶴の『日本永代蔵』に「北の国一番の米の買入、惣左衛門という名をしらざるはなし」と紹介されるほどでした。
※廻船問屋・・・船主のために積荷を集めたり、運んだりして運送取次の役目を果たした会社のこと
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山王くらぶ
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北前船の往来によってもたらされたのはモノだけではありません。関西の上方文化も北前船によって酒田に伝えられ根付くことになります。茶屋では芸妓たちが舞踊や琴などの芸を身に着けることになり、料亭文化の華ひらく都市に生まれ変わっていきます。
酒田を代表する料亭だった山王くらぶ。今も当時のまま残る組手建具や引き戸など手の込んだ建物の細工に注目!館内には、日本三大吊るし飾りのひとつである傘福が一年中展示してある傘福の間が。ここでは傘福の製作体験もできるので一針一針願いを込めて挑戦してみて。(傘福制作体験は要予約)
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下日枝神社 裏参道
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石畳が続く舞娘坂を日和山方面へ上ると下日枝神社の裏参道へ。
裏参道の鳥居は瓦が載った珍しい造り。てっぺんに三角形の屋根がある独特な形の「山王鳥居」で、合掌鳥居とも呼ばれます。西郷隆盛が書いた神額が掲げられています。
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下日枝神社
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今の社殿は1784(天明4)年に本間光丘によって建立されました。このとき光丘は日和山や港に到る参道を作り、ここを拠点に防砂林の植林を始めます。風砂の被害に悩まされていた酒田の人々のために光丘は私財を投じてこの地に松林を定着させました。
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松林銘(山王森)
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風砂の被害に悩まされていた人々のために私財を投じて2kmもの距離に松を植林した本間光丘。光丘の没後16年を経て、1816(文化13)年に植林の功績を後世に伝えるために有志が松林銘を建立しました。
使われている石は御影石で、神戸で彫られ海路で運ばれてきたそう。松林のおかげで風砂の被害が少なくなり、酒田の人々がどれだけ光丘に感謝したかわかる貴重な碑です。
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日和山公園:常夜灯
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北前船の往来により栄えていた酒田の港で灯台の役割をはたしていた常夜灯。船頭衆・廻船問屋衆が船の安全を祈願して寄進したそうです。金毘羅大権現、天照皇大神宮、龍王宮と刻まれ、西廻り航路紀州・羽州加茂・羽州酒田や高田屋嘉兵衛、酒田の廻船問屋である鐙屋・根上・柿崎などの文字がみえます。高さは3mにも。
もともとは方角石のあるあずま屋の所に立っていて、港に出入りする船の目印になっていました。今も夜になると明かりが灯り、当時の様子をうかがい知ることができます。
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日和山公園:北前船
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お米を酒田港から江戸に運ぶために活躍した千石船。風を目いっぱい受けられるよう大きな帆が立っていて、日本海の荒波に耐えるため船はドングリ型に。お米を150トンも積めたそうです。
その千石船を1/2スケールで再現した日和丸が日本海沿岸をかたどった池に浮かべられています。この日吉丸は現存する模型では国内最大級。
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日和山公園:方角石
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港に出入りする船頭衆が方角を確認するために見た石で、日時計ともいわれました。直径71cmの御影石で作られていて、上面には十二支と東西南北の文字が刻まれています。
石が置かれている丘は港と日本海を一望できるので、空模様を見るのに最適の場所。天候や風向き、そして方角石で方位を確認し船出発の基準にしていたそう。
今もこの場所は酒田市内で一番のビュースポット。空が真っ赤に染まる夕陽の時間は写真映え間違いなしです。
13
酒田駅
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酒田駅、到着。
お疲れ様でした!